ぼやき つぶやき
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新幹線、原子力
唱歌・故郷(ふるさと)
都道府県番号の不統一
電力をすべてソーラー発電でまかなうとすれば
不快だ。早食い競争・大食い競争
100m19秒と走幅跳4m50cm
ありがとう、尾崎紀世彦さん
時間の尺度、地球と人間
マグニチュード9.0 のエネルギー
e-Tax やめた
和式の手前で出ています
200年住宅
テレビ番組「世界ふれあい街歩き」
熟柿大好き
派遣切り
ノーベル賞とフィールズ賞
レイモン・ルフェーヴルさん、ありがとう。さようなら
宙に浮いた年金
ワーキングプア
秋の夕方、田舎は くすぶり臭い
数独
昔の録音テープの日付を特定する
深夜外出は危険
真夏のスポーツ、やめといた方がいいんじゃないか?
車寅次郎←渥美清←田所康雄←?
野球番組へ。球速は「145km」ではなく「145km/h」と表示してくれ
新聞記事には5W1Hを
アイドリングストップ
窓の上の庇(ひさし)
家庭でのゴミ焼き
ウェブサイトを作る人へお願い。日付には「年」を付けてください。
やらなくてよい草刈り・やめて欲しい樹木の剪定
睡眠不足は諸悪の根源


新幹線、原子力 2014/09/24記
 東海道新幹線が開業50年を迎える。今は新幹線の無い日本は考えられないが、2014年9月24日(水)10時22分配信の「乗りものニュース」の見出しに「根強かった不要論」とある。
 今年建設が始まろうとしているリニア中央新幹線にも不要論、反対論がある。そんなに速く移動する必要があるのか?と。しかし2050年になったとき、リニア中央新幹線を「要らない」と言う人は殆どいなくなっていると思う。「リニアの無い日本列島は考えられない」という世の中を、私は、あの世から見ることになるだろう(その頃の私は時空を超えて自由に移動できるのでリニアも何も要らないのだが)。
 原子力は人間の制御できるものでは無いから原子力発電は未来永劫やるべきではないという意見がある。核エネルギーは燃焼という化学反応とは桁違いの熱(エネルギー)を出す。これを見付けた人類が簡単に手放すとは思えない。
 何十万年か前に、人類が火を発見したとき、「火事になれば何もかも失う」「火ほど恐ろしいものは無い」と言う人がいただろう(言葉を操っていたかどうかは知らないが)。しかし、人類は火を手放さなかった。火のおかげで、暖を採り、食べ物を焼き、物を加工し・・・それ以上言うまでも無かろう、火の無い文明はあり得ない。現代でも火事や事故、兵器など、「火」によってたくさんの命が失われている。しかし人類は「火」の利用をやめられない。
 木を擦り合わせて火をおこし、たき火を囲んだ人類は、やがて火の熱から動力を得る蒸気機関やガソリンエンジン、暖房器具、ガスコンロ、火力発電などを発明した。「火」を上手にコントロールして豊かな暮らしを築いた。
 人間は知恵を伝承し、技術を発展させ、過去には想像できなかったような暮らしを得てきた。ここで発展が止まるはずは無い。2100年の人は2014年を振り返って「なんと原始的な文明だったのか」「不便な世の中だったのね」と思うに違いない。
 その頃は、原子力も易々と制御できているだろう。核廃棄物をこの先十万年も管理しなければならない、と2014年の人は心配している。しかし、科学・技術は、百年も経てば想像も出来ないくらい発展するものだ。今の技術が続くと思ってはいけない。とはいえ、どんなに技術が発展しても事故は起きる。間違いを犯すのは人間の宿命だ。しかし、ミスを大きな災いにしない技術も発展するので人類は文明を享受できる。
 現在の最先端技術で未来を語ってはならない。未来の人は我々の想像を超えた発明をする。

唱歌・故郷(ふるさと) 2014/01/13記
 歌うと涙が出て来る歌がある。「故郷」(高野辰之作詞、岡野貞一作曲)。小さい頃にウサギを追ったことも川で小鮒を釣ったこともない(ザリガニをつったことはある)。しかし、きれいなメロディーと心にしみる詩に懐かしさがこみ上げてくる。
 東日本大震災のあと被災地などで人が集まるとこの歌がよく歌われたそうだ。また、安田祥子・由紀さおりが海外公演でこれを歌うと駐在員の男達が泣く、という話をずいぶん前に聞いたことがある。
 YouTubeでは たくさんの「故郷」が聴ける。私の一押しはドミンゴとヴァージニアが歌う「ふるさと」
 外国人が日本国籍を取得する際にどういう審査があるか知らないが、これを歌って泣くかどうか、を審査項目に入れて欲しいと思う。と、これは半分冗談だが、この歌を聞いたり歌ったりして何も感じない人は日本国土に住んでもらいたくない(これを政治家が言ったら大問題になるだろうな)。
 百年前に作られたこの歌は今も小学校で教えているだろうか?

都道府県番号の不統一 2013/09/10記
 NHKが2013年4月から約4ヶ月半にわたり三重と岐阜の天気予報を入れ替えて表示していたらしい。 東海三県は「愛知・岐阜・三重」か「愛知・三重・岐阜」か。人による。組織によっても違うのだろう。 NHKのミスの原因もこれではないかと 私は憶測している。天気情報を送り出す気象台と受け取るNHKで岐阜と三重の順番が逆だったのではないか?
 先日佐賀市で行われた全日本マスターズ陸上競技選手権大会でも選手の所属する県名が "ゴッソリ" と間違っている印刷物があった。 都道府県番号の体系が組織によって異なることが原因だったのでないか? マスターズ陸上で使う都道府県番号と国体や都道府県対抗駅伝で使う都道府県番号の番号体系が異なっているのだ。 例えば岐阜県は国体では24番だがマスターズ陸上では23番である。因みにJISコードでは岐阜県は21。バラバラ。
 調べてにまとめてみました。

電力をすべてソーラー発電でまかなうとすれば 2013/07/31記
 ヤマザキマザックが美濃加茂製作所敷地内(岐阜県)で太陽光発電をするという話をインターネットで見た。敷地32000㎡で年間の発電電力量220万KWhだそうだ。 割り算すると68.75GWh/(ギガワットアワー パー 平方キロメートル・年)となる。
 日本では2008年の1年間に1,083,142GWhの電力量を消費したそうだ。 1083142を68.75で割ると約15755。日本の電気をすべて太陽光発電でまかなうとすれば、年間の総量だけで考えても約1万6千平方キロメートルの土地が必要。 四国の8割強の面積、国土の約4%の面積。

不快だ。早食い競争・大食い競争 2012/07/06記
 アメリカでホットドッグの早食い競争があって、日本人の誰それが優勝した、という記事がインターネットに出ていた。 私は、こういう早食い競争、大食い競争の類が大嫌いだ。
  あの後、吐いているか大糞を垂れているか、どちらか(あるいは両方)だろう。想像しただけで気持ち悪い。ばかげたことはやめて欲しい。
  日本にも、わんこそばの早食い競争や、無理矢理大盛りのご飯を食わせる伝統行事がある。腹一杯食えなかった時代に始まった祭りかも知れないが、これも嫌いだな。

100m19秒と走幅跳4m50cm 2012/06/15記
 陸上競技の話です。100m走のタイム19秒と走幅跳の4m50cm、どちらがレベルが高いと思いますか? 因みに、どちらも男子の世界記録(現在 9秒58 と 8m95cm)の「半分」です(100mの方は平均スピードが半分)。
  小学生の記録を見てみると明らかですが、走幅跳4.5mの方が遙かに高レベルです。 100m19秒なら小学3年生でも走れる子はいっぱい居るでしょう。 しかし走幅跳4.5mは小学6年男子でも跳べる子は、めったに居ません。
 どうしてこういうことになるのでしょうか?ただ走るのは単純で技術があまり要らないが、走ってきて片脚で踏み切るには 技術が要るからでしょうか? 確かに種目間での、技術が記録に及ぼす影響の違いもあるでしょう。
 しかし、本質的な理由は物理法則にあります。走幅跳は、走る力が付くと跳べる距離が急激に伸びる。そういう風に自然法則ができているのです。 逆に言うと、走るスピードが半分になると100mのタイムは(おおざっぱな話)2倍になるだけですが、走幅跳で跳べる距離は半分よりずっと短くなるのです。
 その理由を説明します。おおざっぱな話です。踏み切ったときの重心の高さとか、空気抵抗とか、着地動作など細かいことは無視。
 走幅跳では踏切直後の水平速度と滞空時間の積(かけ算)で距離が決まります。滞空時間は踏切直後の鉛直方向の速度で決まります。 しかし正比例ではありません。正比例ならスピードが2倍になると滞空時間も2倍、跳ぶ距離は4倍になりますが、そんなには伸びません。
 滞空時間は踏切直後の上昇速度の平方根(ルート)に比例するのです(高校の物理で簡単に出る)。 従って助走スピードが a倍になれば、走幅跳の記録は a√a倍になるのです。スピードが 2倍なら跳べる距離は約2.8倍ということです。
 冒頭の世界記録の半分の話に戻ると、100m19秒と同レベルの走幅跳は 8.95m を 2√2 で割った 3.16mとなります。 単純に半分の 4.47mより だいぶ短くなりましたが、これでも小学生にとっては 100m19秒より難しいですね。 走幅跳は100m走より技術がモノを言う種目、ということでしょう。走ってきて片脚で跳び上がる動作、子供だってそうしないもんね。 走るだけならしょっちゅうやっているけど。

ありがとう、尾崎紀世彦さん 2012/06/13記
 今年4月、新聞に載った週刊誌の広告に「失踪」とあった。忘れていた尾崎紀世彦を思い出し、YouTube で色んな動画を視聴した。 そして、これは たぐいまれなる歌のうまい人だと感じ入った。様々な年代の映像をみることができるが、20歳代~30歳代の頃より ひげが白くなりかけた 50歳代頃の方が歌に味があると思う。声量も落ちていない。
 「また逢う日まで」はたくさんアップロードされている。私が特に気に入ったのは
太陽は燃えている ロシアより愛をこめて また逢う日まで。すばらしい歌いっぷりだ。
 私も5年ほど前にテレビ番組を録画した DVD があったのを思い出し、亡くなった数日後 YouTube にアップロードした。 尾崎紀世彦「また逢う日まで」2007/9/17 だ。 アップして10日ほど過ぎた現在、アクセス数は3千を超えている。多くの人に楽しんでもらっているらしい。嬉しいことである。 著作権法違反なのだろうが見逃して欲しい。
 YouTube を見ると、歌っていないときの尾崎さんは控えめな振る舞いの中にユーモアと茶目っ気があり、人柄の良さがうかがえる。
 歌のうまさでは不世出の人だった。尾崎紀世彦さん、ありがとう、さようなら。

時間の尺度、地球と人間 2011/05/30記
 東日本大震災で津波をかぶった地域の高台移転が検討されている。 あれだけ悲惨な目に遭えば、標高の低い土地は懲り懲りだと思うのもわかる。
 しかし、宮城・岩手で今回のような広範囲を巨大津波が襲うのは、数百年~千年に1回らしい。 つまり、これから数百年は津波で流される確率は小さい。 海に近い、平坦な、暮らしやすい広い土地を、これから先長い間宅地として使わずにいられるのだろうか? 人間は百年も経てば、また高台から平地に降りてくるだろう。
 21世紀が遠い昔となった時代にも、海に近い、平坦な、暮らしやすい広い土地に住まずにいられるだろうか? おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんが子供の頃、大地震があって海岸から 3kmも内陸のこの辺りまで津波が来たんだって。 そういう時代になっても、遠い先祖が2011年に固く決心した「もう低い土地には住まない」を守り続けられるか? 私は、難しいような気がする。
 地球と人類の(動物の)時間スケールが違いすぎるのだ。 日本列島東の太平洋で発生する巨大地震の周期は地球にとっては心臓の鼓動のようなものかも知れない。 すぐに次の1拍が来る。 しかし人類にとってその間隔は何十世代にもなり、とても実感をともなって恐怖を記憶しておける(伝承していける)ような時間ではない。
 何十世代もが大津波に遭わずに低い土地で平穏な人生を送り続けた後、ある世代が不運にも巨大津波に飲み込まれる。 そして「もう低い土地は懲り懲りだ」と嘆く。しかし百年も経つと「やっぱり平地の方が住みやすいね」となる。 これが人類の智恵の限界だと思う。個体の寿命が高々百年の人類は地球の(大自然の)時の尺度にはついて行けないのだ。

マグニチュード9.0 のエネルギー 2011/03/18記
 2011年3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震のマグニチュードは9.0だった。
Wikipedia で調べるとマグニチュード9.0の地震のエネルギーは 2×10^18J(J=ジュール)だそうだ。 これはガソリン何リットル分だろう?
 ガソリン1リットルを完全燃焼させたときに出る熱エネルギーは資源エネルギー庁によれば34.6×10^6J(8266 kcal)だから
答は、2×10^18÷34.6÷10^6=5.78×10^10リットル、となる。
 経産省によれば ガソリンの国内消費量は年間約 5.8×10^10リットル。 偶然にも殆ど同じ値。つまり、東北地方太平洋沖地震では、日本全体で1年間に消費されるガソリンを燃やしたくらいのエネルギーが放出されたわけだ。
 今問題になっている福島第一原子力発電所の出力は6基合わせて469.6万kw(kw=キロワット)。1秒間に4.696×10^9Jのエネルギーを出す。
2×10^18÷(4.696×10^9×60×60×24×365)=1.35×10 だから、東北地方太平洋沖地震は約13年半この発電所を動かし続けて得られるエネルギーを数分間に放出した。

e-Tax やめた 2011/01/07記
 3年続けてきた e-Tax を今年からやめることにした。
 住民基本台帳カードの電子証明書が期限切れになったからだ。新たに電子証明書を取得するには市役所へ出向いて手数料 500円を払う必要がある。 うちは3人確定申告するから 1500円要る。
 これなら「確定申告書等作成コーナー」(国税庁のサイト)を使って印刷し、税務署へ送った方が良い。クロネコメール便なら 80円で済む。
 平成19年度分の確定申告(平成20年(2008年)1月に提出)で 5000円の税額控除という e-Tax の特典を受けたが、この特典は1回限り。もう e-Tax を選択するメリットは私には無い。
 平成19年度分で初めて e-Tax を使い、今年 電子証明書の期限切れで e-Tax をやめる。こういう、私と同じような人が結構いるんじゃないかな?

和式の手前で出ています 2010/09/08記
 「昔の名前で出ています」という演歌がある。 知っている人は「昔の名前で出ています」というフレーズを「和式の手前で出ています」と替えて歌ってみて下さい。 昔、よく知られた歌のパロディーを写真付きで流すテレビ番組でやっていた。 未だに覚えているから よほど面白いと感じたのだろう。
 不特定多数の人が使う便所には まだ和式便器の所が多くある。 公共施設や駅の便所に入ると「和式の手前で出て」しまっているのを見掛けることがある。 実際にしゃがんでみると、頭が前の壁に当たりそうなもの、顔のすぐ前に水道のパイプが走っているもの、が時々ある。 これでは落下物が便器から外れるわけだ、何で こんな前に便器を配置したんだろう と思う。 設計図を書く建築士、実際に配管工事、便器設置をする職人、これらの人も自分で1回しゃがんでみれば便器の位置が前過ぎることに気づくと思うのだが。

200年住宅 2010/09/07記
 3年ほど前 福田内閣が「200年住宅ビジョン」を打ち出した。住宅を長く使えるように、よく考えて設計し、きちんと施工する。これに異存は無い。
 しかし 200年は長すぎると思う。 どの部分を200年間「もたせる」つもりか知らないが、最も長く残りそうな柱や壁を200年間変えないで住め、と言っても未来の人は喜ばないと思う。 200年も経てば日本人男の平均身長は185cmくらいになっているかも知れない。 天井の高さ、間取りだって大きく変えたくなるかも知れない。 リフォームしながら200年も使い続けるより50年くらいで壊して新築した方が住むにも快適だし、経済的でもあると思う。
 いま家庭に引き込まれている光ファイバーを 200年前に想像できたか?電源コンセントだって想像できなかったであろう。 200年後の生活様式を今から予測はできない。また 200年も経てば今から想像もできないような建築技術、建築素材が生まれているはずだ。 1810年と2010年の違いを見てみれば、そう考えるのが自然である。 現在の技術、科学、生活様式を過大評価してはならない。 いつの時代にも「現在」など長い人類の発展の1通過点に過ぎない。 自分の体験した数十年の変化・発展・進化の延長で考えてはいけない。
 200年後の日本人の生活を、今から想像することは不可能だ。 色々予想してみて、その中の幾つかが当たっていた、というのが関の山だろう。
  • 私の予想1:200年後の家では電気は使っているがコンセントは無い。
  • 私の予想2:200年後の家にも便所(今の便所に相当するもの)はある。
     この2年間で福田→麻生→鳩山→菅と首相が変わり「200年住宅」という言葉もあまり聞かなくなった。ビジョンは3年も もたなかったのか?

    テレビ番組「世界ふれあい街歩き」 2010/02/13記
     土曜日午後0時からのNHK教育テレビ「世界ふれあい街歩き」が気に入っている。 遠い外国の街を自分が訪ねているような気分にさせてくれる。 ヨーロッパの街のときが特に良い。「あー、行ってみたいな。」と思う。
     今は94歳と87歳の親と3人暮らしなので海外旅行は無理だ。 旅に出られないなら、と1年前から
    を飼っている。
     それはさておき、この番組の制作方法について疑問がある。 街を歩いて行く取材班(カメラ)が現地の人に話しかける声が全く出てこないことだ。
     街をブラブラしながら出会った人と会話するのだが、歩き役のナレータは無論現地へ行っているわけではなくスタジオで喋っているのだろう。 ナレータは日本語である。 日本語で話しかけても通じるはずはない。 それでも相手は自然に受け答えしている。 これがちょっと不思議。 問い掛けを文字にした大きな紙でも見せながら撮っているのかな?

    熟柿(じゅくし)大好き 2009/01/24記
     
    写真を見てください。鮮やかな柿色。十分熟した富有柿です。中は半液体です。
     これのヘタをスポッと抜き、その穴から中身を啜(すす)る。これが実に美味い(「うまい」は私の味覚による独断。以下同様)。
     トロトロにまで熟した柿はスーパーマーケットでは見掛けない。私はある果物屋で毎年12月頃から何度も箱買いしている。 この冬はもう10箱以上買った。一箱に23~25個入って500円か600円。300円のときもあった。こんなにうまい柿が何故1個20円あまりで買えるのか? 熟柿大好き人間にはそれが不思議だ。私なら1個200円でも買うな、たぶん。
     皮が破れてタポタポの中身(汁)が しみ出しているものも まれにある。それでも味に変わりはない。 先日は店のおばさんに、鳥のエサにするのか と訊かれた。そういう目的で買って行く人も居るとみえる 。
     柿は、包丁を入れてパリッと割れるようなのは美味しくない。熟したものほどうまい。みかんは逆。 2月頃のみかんは ブカブカの皮に しなびた実が入っており、口に入れると味の薄い砂糖水のような汁が出るだけで全くうまくない。 11月頃に出初めの緑の皮にキッチリ実の詰まった酸っぱいのが良い。

    派遣切り 2009/01/17記
     今、「派遣切り」が問題になっている。私は2000年~2002年の間に2度、契約社員として会社勤めをしたことがある。 2度解雇されたわけだ。 契約を延長しない旨言われたときは、がっかりしたが、期間契約で雇われたのだから仕方がない。 そう思い会社を恨む気は無かった。
     今、テレビで職を失った人が出て「所持金は300円しかない」などと言っているのを聞くと、 この人は収入があるとき貯金しなかったのか?と疑念が浮かぶ。
     収入が途絶えた途端に食費も無い。これは それまでの金の使い方が悪かっただけのことではないのか? 手元に金があると全部使ってしまうタチなのだろう。 要するに「キリギリス」だったのだ。 こういう人への定額給付金は、すぐに使われるから政府の意図通りだ。
     解雇されても「アリ」だった人は今も何とか自立して生活しているのだろうと思う。 キリギリス君、食べ物を得る金がないのなら、なりふり構わず働け。介護、農林水産業、清掃、など探せば職はあるだろう。

    ノーベル賞とフィールズ賞 2008/10/07記
     益川敏英・小林誠の両氏がノーベル物理学賞をとった(南部陽一郎氏とともに)。最近の株価下落に落ち込んでいた私の気分を明るくしてくれるニュースだった。「日本人、やるじゃないか!」と。世界での日本株の評価も急騰してくれないかな?・・・おっと、話がそれた。
     益川、小林の両氏は名古屋大学理学部の卒業生である。二人とも名大を出て京都大学の先生になりそこでの仕事がノーベル賞につながったらしい。
     同じように名大理学部を卒業し若くして京大へ移った人に永田雅宜(まさよし)という数学者がいる。残念ながら今年8月に81歳で亡くなられたようだ。
     私は月刊誌「数学セミナー」の「エレガントな解答を求む」で永田雅宜さんに褒められたことがある(1991年7月号)。永田先生は褒めたつもりはなかったかも知れないが私は褒められたと思っている。細部までキッチリ論証したのは56通の解答のうち私の一通だけだったと書いてくださったのだ。
     当時、私は会社勤めで忙しい日々を送る中「エレガントな解答を求む」に時々投稿していた。今考えると、よくやっていたな、と思う。
     数学はノーベル賞の対象にはなっていないが、それに匹敵する価値を持つフィールズ賞がある(ノーベル賞より希少価値があるかも知れない)。 これは4年に1回、世界から 4人(昔は2人だったようだ)が選ばれる(40歳未満という条件あり)。日本人は今までに3人受賞している(1954年・小平邦彦、1970年・広中平祐、1990年・森重文)。 このうち広中、森の2人に学位を与えたのが永田雅宜さんだそうだ(
    「数学の巨人 永田雅宜 ~ひたむきに歩き続けた人生~」というサイト(動画)の受け売りです)。
     次のフィールズ賞は2010年。20年ぶり 4人目の日本人受賞者が出ないかな?

    レイモン・ルフェーヴルさん、ありがとう。さようなら 2008/08/12記
      2008年6月27日、レイモン・ルフェーヴル(Raymond Lefevre)さんが78歳で亡くなった。 フランスのポピュラー音楽のアレンジャー、楽団指揮者だ。 私はこの人の音楽が大好きで、学生の頃から10年くらいの間は、発売されるレコード(LP)を殆どすべて買っていた。 それらは今も持っている。 一番気に入っているのは、1972年4月に初来日したときの
    実況録音盤  その裏。 デジタルファイルに変換して今もたびたび聴いている。 カーステレオの中には、それを焼いた CDが入れっぱなしにしてある。
      1972年、私は大学へ入った。まだレイモン・ルフェーヴルを知らなかったので初来日コンサートには行っていない。 その年の夏、雑誌「週刊FM」に音楽評論家の鈴木道子さんが LP「レーモン・ルフェーヴル・ライヴ・イン・ジャパン」評を書いていた。 それを読んで、この、私にとって記念すべき LPを買った記憶がある。 ジャケットの解説文で永田文夫さんは、この来日公演が如何に音楽的にすばらしく充実したステージだったかを書いている。
      話はそれるが、最近 Yahoo!オークションでこれを手に入れた。 1972年に自分で買ったのを無くした訳ではない。買い増した、のだ。 1974年来日の「ライヴ・イン・ジャパン」も Yahoo!オークションで手に入れた。 無論、これも1974年発売と同時に買ったのだが、30年ほど前、人に貸したら2枚組の片方を紛失したまま返してきたので、長い間1枚しか無かったのだ。 インターネットオークションは、昔懐かしいものが欲しいとき便利。
      閑話休題。 今「レイモン・ルフェーヴル」と聞いても「誰それ?」という人が多かろう。 ポール・モーリア(彼も一昨年鬼籍に入った)の方が、知っている人は多そうだ。 ルフェーヴルの名を知っていても、ただのイージーリスニングと思っている人が多いだろう。 しかし、私にとってはルフェーヴルのアレンジを奏でる彼のオーケストラの音楽は最高だ。 弦楽器、管楽器、打楽器(ドラムを含む)が絶妙のバランスでお互いを立て、自己を主張している。 何度聴いても飽きない。 否、一旦飽きても数ヶ月してまた聴くと「ルフェーヴルはやっぱり いいなー」となる。
    <Virtual 5.1ch>Raymond Lefèvre♪マミー・ブルー Mamy Blue<Live1972/4ch盤>
    <4CH Live1972>Raymond Lefèvre ♪ベニスのわかれ~とどかぬ愛~シバの女王
    私は1978年からヒゲを生やしている。 ルフェーヴルさんのヒゲを真似したものだ。 1980年3月4日に名古屋市民会館でのコンサートの後、楽屋へ会いに行った。 この時既に真似したヒゲを生やしていたので恥ずかしかったのだが。 手帳にサインをもらい、握手してもらった。 この時ルフェーヴルさんは一仕事終え、たしかビールを飲んでいて、上機嫌だった。 別れ際に彼は「Thank you WAKAMIYA」と言った。 誰かそばにいた人(ファンクラブのメンバー)が私の名前を教えたのだろう。
      なお、日本で一番レイモン・ルフェーヴルに詳しいと思われる山崎肇さんのウェブサイトブログは、晩年のルフェーヴルさんをユーモアを交えて描いている。 この人の文章が面白いと思われた方には、著書 「シャンソン歌手はスパゲッティを食わない」のご一読をお薦めします。

    宙に浮いた年金 2008/03/29記
      「宙に浮いた年金」の名寄せ作業について、国会での野党の追及、提案に対し舛添要一厚生労働大臣が 「それをやるにはプログラムの変更が必要で時間が掛かる」とか「コンピュータのキャパシティが限られている」と答弁する場面があった。
      しかし、コンピュータ上での年金保険料納付データ5千万件の照合がそんなに大きなシステムだろうか? 少し考えてみた。 私は年金システムの内容を知らないので以下は推測に基づいて書いる。 的外れな見解かも知れない。
      1件のデータは、例えば厚生年金なら、基礎年金番号、氏名、性別、生年月日、会社名、会社所在地、受付社会保険事務所コード、納付年月、納付額くらいではないか? 本当は、基礎年金番号さえ含まれていれば、氏名、性別、生年月日はマスタテーブルから引っぱって来ることができるので 納付データには不要なのだが、紙台帳時代からの名残で個々のデータに氏名などが入っているものと思われる。 氏名・性別・生年月日など、キーになり得ないもので個人の識別をしなければならない所に年金記録問題の本質がある。 氏名・性別・生年月日の同じ人は複数存在し得るし、氏名は時間が経つと変わり得る(改姓など)からだ。
      話をデータサイズに戻す。他に項目が幾つかあったとしても1件のデータは 1KB(キロバイト)に収まるだろう。 5千万倍しても50GB(ギガバイト)でありパソコンのHD(ハードディスク)に やすやすと入る。 マッチング(突き合わせ・突合・とつごう)相手のデータが基礎年金番号のマスタテーブルとすれば、こちらは たかだか1億件である。 項目は基礎年金番号、氏名、性別、生年月日くらいだろう。 マッチング対象の2つのデータベースとも現在のコンピュータにとっては大した大きさではない。
      宙に浮いた記録は過去のデータだから、稼働中の年金システムの中で照合作業を行う必要はない。 照合に必要な2つのデータベースからデータを抜き出せば、年金システムと切り離されたコンピュータでできるはずだ。 それはパソコンで十分であり、照合条件を色々に変えて試すこともメインフレーム(大型汎用機)より柔軟かつ臨機応変にできる。 データベース(SQL)、スクリプト言語(Rubyなど)、正規表現を使えばサンプル調査や照合テストを素早く行えそうに思う。 優秀なプログラマを数人集めれば社会保険庁の様々な要求をサッサとこなしてくれるだろう。
      今回の騒動の裏で、照合作業を請け負った会社は大儲けしているのではないか? メインフレーム・COBOL・JCLで仕事をしている組織は、何か頼まれると、ちょっとしたことでも「○○人月掛かります」と言うものだ(少なくとも昔はそうだった)。 「それをやるには1ヶ月掛かります」「その変更には別途1千万円頂きます」。社会保険庁にそう言っているのでは無かろうか?
      ただ、どういう風に照合(突き合わせ)作業をやろうと、データに欠落や間違いがあるのだからコンピュータだけでは解決できない。 何十年にわたる杜撰な記録作成、記録管理、欠陥の放置によってデータがメチャクチャになっている様なので、 他のあらゆる手段(たとえば国民の記憶・記録)を総動員しても「最後のお一人まで」(2007年7月・安倍晋三)はとても無理だろう。

    ワーキングプア 2007/12/28記
      2007/12/10夜に放送されたワーキングプア問題を扱った番組(NHKスペシャル「ワーキングプア1&2」-2007年度 新聞協会賞受賞-)を見た(録画しておいて)。
      その中に、3つのアルバイトをしながら2人の小学生の子供を養っている50歳の父親が出ていた。 話が子供のことに及び涙ぐみながらインタビューに答える場面では、見ている私もぐっと来た。
      しかし、この人が家でタバコを吸っているのを見たとたん、それまで抱いていた同情は半減した。 「なーんや。その程度の困窮か。」と。タバコ代はわずかな金額かも知れない。しかし、本当に生活費に困っているのならタバコはすぐにやめるべきだろう。
      タバコを吸い続ければ、病気で働けなくなって収入が減る確率、自分が払う医療費が増える確率、 いずれも高くなる。経済的な面だけを考えても、タバコは吸うべきではなかろう。
      別の番組(民放)で生活費に困っていると言う人が「格差社会だ」と恨み事を言っているときその髪が茶色に染められていたのを見たこともある。 お金に困っているのなら、髪を染めたり、携帯電話を持つのをまず止めるべきだろう。 今までの生活流儀を変えずに「食っていけない」と言っても、それは通りませんよ。

    秋の夕方、田舎は くすぶり臭い 2007/11/30記
      田舎は都会に比べて空気がきれいだと言う人がある。 しかし、農村では風の無い夕方など、畑で草木を燃やす煙が一面に漂う。 里山に登ってみると谷全体が白い煙で覆われているのを目にすることも珍しくない。
      焼却を禁止する法律の例外の1つに「農業、林業又は漁業を営むためにやむを得ないものとして行われる廃棄物の焼却」 があるそうだが、許されるのは「やむを得ない」焼却である。燃やさないで済むなら燃やさないでもらいたい。 燃やすにしても、よく乾燥させてから一気に燃やせば煙はそう出ないと思うのだがモクモクと白い煙を立ち上らせている。 煙を立ち上らせるのが楽しいのだろうと私は邪推する。
      何万年も前の大昔、煙が出るのは暖が採れるときだった。また食物を焼いたり煮たりできるときだった。 凍えない、飢えない、つまり生命に危険の無いとき、それが煙が立ち上るときだったはずだ。 この安心感を感じる遺伝子が現代人にも残っていて、煙を見ると(煙を吸うと)幸福になるようにできているのかも知れない。 もしそうなら私にはその遺伝子は欠落している。野焼きの煙もタバコの煙も嫌いだ。 風のない秋の夕方、都会の真ん中の方が田舎より空気はきれいかも知れない。

    数独 2007/03/06記
      「数独」というパズルが流行っているらしい。 書店には問題集も並んでいる。 私がこのパズルを初めて知ったのは十数年前、雑誌「週刊文春」の「てこずるパズル」でだった。 そのとき自分で解いてみようとは思わず、コンピュータに解かせることを考えた。
      数独は「しらみつぶし」で解ける。 コンピュータに うってつけ の問題だ。
  • そのマスに置ける数があればそれを置く
  • どの数も置けなかったら1つ前のマスの処理へ戻る(バックトラック法)
    これを空いているマスについて繰り返すだけ。 人間にとっては面倒で時間が掛かる問題も、パソコンなら瞬時に解いてしまう。 尤も数独に取り組む人は、その面倒さを克服して解いときの達成感を楽しむのだろうから機械に解かせようとは考えていないかも知れないが。
      「てこずるパズル」で数独を初めて見たとき、コンピュータに解かせるプログラムをC言語で作った。 今は殆ど見掛けなくなった DOSプログラムだ。 その後 Javaの勉強のつもりで
    http://wakash.com/puzzle/を作り、 昨年 Borland Developer Studio を使って焼き直し解くぞ数独と名付けて公開した。 このフリーソフトは結構ダウンロードされているようだ。 大した機能はないのだが、名前が良かったのかもしれない。
      プログラミング技術「再帰呼出」の例として良く挙げられるは「ハノイの塔」や階乗計算だが、数独も良い例だと思う。 例えば空きマスが60個ある数独は60重にネストしたループを書けば解けるが再帰を使えばプログラム(ソースコード)上ネストは全くない。 初めて再帰を知ったプログラマの目からはウロコが落ちるのではないだろうか? 私は約20年前に TurboPascal で初めて再帰プログラムを書き、その簡潔さとからくりに感心したのを覚えている。 それまでは BASIC とか COBOL など(当時は)再帰呼出を使えないプログラミング言語しか知らなかったのだ。

    昔の録音テープの日付を特定する 2007/01/28記
      今、暇があると昔のカセットテープ(二十年~三十数年前のもの)をデジタルファイル化している。 ラジカセで再生しパソコンに取り込んで
    mp3ファイルを作るのだ。
      私は資料やデータの日付をことさらに重要視する人間だが、カセットにもケースにも日付が書いてないものがたまにある(昔の自分の怠慢)。 そうなると、いつ録音されたものなのかを知りたくなる。 日付を特定し、今後日付不明で悩まないためにファイル名に日付を含めておきたい。
      先日、「三人一話」という NHKラジオ番組の録音テープが出てきたが日付がどこにも書いてない。 内容は青木雨彦(故人)、馬場あき子、藤原正彦が愛読書について語り合う鼎談(ていだん)だ。 この番組が1980年2月21日に放送されたものであることが次のようにしてわかった。
      番組「三人一話」に続いて天気予報、時報、ニュースが録音されていた。 テープの最後に入っていたこのニュースでアナウンサーが「昨夜大阪府枚方市で起きた京阪電車の脱線転覆事故の原因が中学生による置き石だったことが・・・」と言っている。 これを手掛かりに インターネットで調べたのだ。 斯くして出来たファイルは「19800221三人一話・青木・馬場・藤原.mp3」。
      日付がわかると、録音を聞きながら頭に浮かぶ「思い出の再生」もし易くなる。 その頃の日記を開き、ああ、あの頃の放送か、などと昔の記憶を反芻できる。
      最近、自分が子供だった昭和30年代~40年代、若かった昭和50年代が懐かしい。 そういう歳になったのだな。 「NHKアーカイブス」は毎回 DVDレコーダで録画している。

    深夜外出は危険 2006/08/28記
     先週、福岡で飲酒運転のクルマに追突されたRVが橋から川に転落する事故があった。 RVに乗っていた親子5人のうち幼児3人が亡くなった。 加害者は危険運転致死罪で罰せられるだろう。 私の感情では20年くらい刑務所にぶち込んでおきたい。
      被害者の両親には同情を禁じ得ない。 しかし、夜中の10時50分に幼い子供を連れて出歩いていた、という点に私は違和感を覚える。 夜間の外出には交通事故に遭う危険性、事件・犯罪に巻き込まれる恐れが昼間に比べて大きいように思う(統計を調べた訳ではない。日頃の報道から得た感覚)。 また深夜の事故、事件には悲惨なものが多く、それに巻き込まれた場合、命を落とす確率が昼間より大きい。
      深夜に外出しようがしまいが、それは各人の自由である。 しかし子供を連れて出るのはやめてもらいたい。 子供には、夜は家で早く寝て、スヤスヤ眠っていて欲しい。
      私は、深夜に外へ出ようとは思わない。 家で眠っていた方が幸せだ。

    真夏のスポーツ、やめといた方がいいんじゃないか? 2006/08/07記
     朝刊に昨日この地方で行われたトライアスロンの記事が出ていた。 ゴールする選手の写真を見て、私は「体に悪いだろうな」と思った。 一年中で一番暑い季節、炎天下で肺や心臓を限界まで使うのは健康でないとできないことだ。 しかし健康を維持するためには、決して良いことではなかろう。 健康の貯金をせっせと取り崩しているようにしか思えない。
     この季節、高校野球だけでなく中学生・高校生のいろいろな体育大会がある。 これは、子供の将来(一生)を考えたとき、望ましいことだろうか? 真夏の炎天下、紫外線をタップリ浴びて体を酷使することは若い肉体にもダメージを残すだろう。
     スポーツで良い成績を残すには健康であることが必要条件だ。 しかし、スポーツのチャンピオン が 健康のチャンピオン だと勘違いしてはならない。 日に焼けたスポーツ選手=健康的、という考えは改めた方がよい。 (今は、そんな風に考える人も少ないかな?)
     昨年の世界陸上選手権の銅メダリスト
    為末大さんは 「私のように活性酸素を出し続けるトレーニングも自身の人生を縮める」と言っています。 トップアスリートは、選手活動が命を削っている ことを覚悟でやっているんですね。
     私も歳(1953年生)を考えて、激しい運動はもうやめようかな?健康な状態で長生きしたい、と思ってますんで。

    車寅次郎←渥美清←田所康雄←? 2006/07/17記
     クイズです。上の?の箇所に適当な名前を入れよ。
     約25年続いた映画「男はつらいよ」シリーズが終わって10年以上が過ぎた。 車寅次郎と渥美清の区別がつかない人も多いのではないだろうか? 多くの人にとって寅さんは渥美清で、渥美清は寅さんなのだ。
     撮影カメラの前から立ち去ったとき車寅次郎は消えて渥美清に戻る。 渥美清が仕事から離れたとき、寅さんとも渥美清とも別の「存在」田所康雄に戻ったのだろう。 俳優 渥美清は、私生活を極端に隠した人だったらしい。 映画の世界ではよく知られた「寅さん」だが、それを演じていた渥美清が田所康雄に戻ったとき、どんな人だったかを知る人は少ない。
     そして、その田所康雄はもうこの世にいない。10年前に亡くなっている。 今は、田所康雄を演じていた何か「?」に戻って、あちらの世界に存在しているのだろう。 「存在」がどういう形かは、こちらにいる私には想像もつかないが。
     この世に生きているということも、役者とその演じる役の関係に似ているのではないか? つまり、芝居や映画は作り物だが、この世に生きているということは絶対の真実だ、というのは間違いかもしれない。
     この世も「作り物」であって、何十億人が演じている1つの長い芝居ではないのかと思う。 舞台はこの宇宙(地球?)。 芝居の上演時間は何十億年(何万年?)。 私もあなたも、ちょい役で一瞬出ているだけ。 すぐに舞台から降ります。 また別の役で舞台の上に出て来るかも知れない(生まれ変わり)。
     この世に生きている自分は、本当は、何かがそれを演じている「役」に過ぎないのかも知れない(森鴎外もそんなことを書いていたような記憶がある)。 台本に従って1つの役を「この世」という舞台で演じている。 その役にふさわしい衣裳として与えられたこの肉体を着て。

    野球番組へ。球速は「145km」ではなく「145km/h」と表示してくれ 2006/07/11記
     NHKのテレビニュースでプロ野球をやっているのを観ると、ピッチャーの球速を「145km」などと表示している。 ここは正確に「145km/h」か「時速145km」として欲しい。
     「子供の理科離れ」を問題だと騒いでいる報道が、スピードに長さの単位を使っている神経がわからない。 少しモノを考える子供なら、「145kmって東京から静岡くらいまでの距離でしょ。今投げた球の速さが東京から静岡までの距離ってどういうことなの?」 と思うのではないか?
     理科(物理や化学)を習うとき、「単位~当たりの…」という量を理解することは一つの山である。 km と km/h の違いがわかること、ワット(電力)とワット時(電力量)を区別できることは、大げさに言えば教養の一つだ。 「ピッチャーの球速が145km」などは、理科を学び始めた者を混乱させる悪しき表現と思う。 改めてもらいたい。

    新聞記事には5W1Hを 2006/06/29記
     今日の朝刊の地方紙面に、少年野球の決勝戦がどこそこであって、どこのチームが勝った、という記事が出ていた。 私が「けしからん」と思うのは、いつあったのか、その日付が書いてないこと。
     これは前から気になっていた。 この新聞(中日新聞)にはよくあることだ。 日曜日にあった行事を数日後の水曜日や木曜日の新聞に載せるときは、大抵日付が書かかれていない。 読者に「古い」と思わせないためにわざと日付を書かないのだろうと私は勘繰っている。
     「いつ」は新聞報道の基本の1つではないのか? どんなたわいのない内容の記事でも、日を特定できる行事・出来事の報道には日付を書いてもらいたい。

    アイドリングストップ 2006/06/08記
     「アイドリングストップ」に私は賛成だ。 しかしこの運動は広がっていないと思う。 公園の駐車場などでアイドリングをしているクルマをしょっちゅう見掛ける。 「アイドリングストップ」のシールを貼ったトラックがエンジンを掛けたまま駐車している。 その周辺にはディーゼルエンジンの くさい排気が漂っている。
     暑くも寒くもないのにエンジンを掛けっぱなしにして駐車しているクルマもある。 「クルマに乗ったらとにかくエンジンを掛ける。いちいち切らない。」を信条にしている人もいるかも知れない。 エンジンを止めたまま車内にいることが不安なのだろうか?と私などは訝(いぶか)りたくなる。
     木陰に駐車して窓(ドア)を開けておけば決して暑くないときでもエアコンを使う。 「エネルギーをふんだんに使っているんだから今私は贅沢している。幸福のはずだ。」と勘違いしているのかな? 「いちいちエンジンを止めない」ことを「かっこよい」と思っているのかも知れない。 とにかく、エンジンを掛けておくのが好きな人が多い。
     車輪が回転を止めたら自動的にエンジンが停止するように、クルマの方を変えないとダメだな(ハイブリッド車はそうなのかな?)。 問題はバッテリー。普通のクルマのバッテリーが蓄えているエネルギーは如何にも貧弱だ。 ガソリン10リットル分くらいのエネルギーを蓄えられる(重くない・高価でない)電池はできないものか?

    窓の上の庇(ひさし) 2006/06/08記
     例えば梅雨の季節。 雨がシトシト降る蒸し暑いとき、窓を開けておくと風が入って来て涼しい。 しかし窓の上に庇(ひさし)が無いと窓を開けておけない。弱い雨でも室内に降り込んで来るからだ。
     私が時々行くトレーニングジム(公営)がこれだ。 「雨天時は窓を閉めて、必要ならエアコンを入れるように」という意味の張り紙がしてある。 しかし、これは如何にももったいない。
     おとなしい雨のときは、窓を開けておけば微風が入って来てトレーニングで汗をかいた体に実に心地よい。 実際、利用者は少しばかり降り込んでも蒸し暑いときは窓を開けている。 自然の風が入って来てエアコンより気持ちがいいのだ。(真夏になって気温が30℃を超えるようなときはエアコンは有り難いけどね。)
     何故、窓の上に庇を付けなかったのかな? 設計者(発注者)に訊いてみたい。 庇のある外観は見栄えが悪いのだろうか? 設計者は実際利用するときの気持ち(使い勝手)をわかっていたのかな? 利用者(となりそうな人達)の意見を聴いてから設計して欲しかったなー。
     と言ってはみたものの「窓には庇が欲しい」は少数派かも知れない。 不快だったら電気でも石油でもジャンジャン使やいいじゃないか という人が多そうだからな。

    家庭でのゴミ焼き 2006/06/07記
     我が家のまわりは所々に畑のある住宅地。 近くに時々家庭でゴミを焼く人がいる。 法律で禁止されているにもかかわらず。 くさい臭いが漂ってきて迷惑する。 ビニール・プラスティック類を焼いている(臭いでわかる)こともある。
     市の可燃物ゴミ袋は1つ30円と安い(安いと私は思う)から、 家庭で焼くのは金銭を節約したいからではなく自分で燃やすのが楽しいからだろう。 「ゴミを自分で始末した」「一仕事した」という満足感が得られるのかも知れない。
     私の見るところ、庭先や畑でゴミを焼く人には高齢者が多い。 昔からの習慣を変えられないのか。暇でゴミ焼き しかやることが無いのか。
     斯く言う私の父親(大正生まれ)もうるさい息子(私のことです)の目を盗んで紙くずや木くずを時々焼いている。 見付けると注意しているがキッパリとは止めてくれない。 何もすることがないと「ゴミでも燃やすか」という心境になるらしい。

    ウェブサイトを作る人へお願い。日付には「年」を付けてください。 2005/10/21記
     検索サイトでヒットしたページを見ていて、「何でこんな風に作るんだ?」と思うことを書いてみます。 私の(知識不足から来る)勝手な思い違いが含まれているかも知れません。

  • 各ページに日付を付けてください。 「月日」だけでなく「年」も。数年経つといつ書かれたものかが わからなくなってしまいます。

  • フレーム(メニュー付き)で閲覧されることを前提にしないでください。 閲覧者はトップページから行儀良く下ってきているとは限らないのです。 検索サイトから跳んでくるとメニューが無いのでその上のページへ戻れないことがあります。 また、親ディレクトリには index.html を置いてください。上に上がるリンクがないときは、アドレスの末尾を消して上がるしかないのですから。

  • スポーツ大会などのページでは「第~回」だけでなく「~年」を付けてください。 「第~回」なんて主催者以外にはあまりピンと来ないのです。 主催者でも「第23回って何年だった?」ということ、無いですか?

  • 文字をグラフィックで表現しないでもらいたい。 例えば会社名をデザインして「絵」として描いた画像。会社名をテキストとしてコピーして使いたいのに、それができない。 ロゴの画像もいいけど、どこかにテキストで会社名を書いておいて欲しい。

    やらなくてよい草刈り・やめて欲しい樹木の剪定 2005/07/21記
     ビービーとうるさいエンジンの付いた器械で草を刈っている光景をよく見る。 田畑の作物の生育に悪ければ草を引くのは当然。 しかし刈らなくても良さそうな所でも「雑草はすべて悪」と言わんばかりに刈る。
     草だって「緑」だ。 少量ながら二酸化炭素を酸素に変えているはず。 屋外で腰を下ろすなら土より草の上がいい。
     また夏の木陰には千金の価値がある。 街路樹などは自由に茂らせればよい。 交通の危険を招く場合には剪定すべきであろうが、そうでなければ切らないで欲しい。 刈る必要がある場合は最小限に願いたい。
     やる必要のないこと、やらない方が良いことを「仕事」と称してやっている例はたくさんある。

    睡眠不足は諸悪の根源 2005/05/05記
     最近、鉄道や航空機の事故(あるいは事故につながりかねないミス)が多発している。 原因の一つとして、運転士・操縦士の睡眠不足(から来る注意力低下・居眠り)がありはしないか?
     どんなに気をつけていても「絶対にミスしない」ことは不可能。 だから人間のミスをカバーする機構・仕組みが必要なことは言うまでもない。 しかし、日常の様々な事故を防ぐ(減らす)ためには各人が「気をつける」ことが不可欠。 この「気をつける」能力の敵が睡眠不足だ。
     今、日本人(日本人に限らない?)は睡眠が足りないんじゃないかな? 「寝る子は育つ」と言うように、子供の睡眠不足は脳や体の発育を阻害するらしい。 日本中の子供が慢性的な寝不足だと、将来の日本国民の平均知能が低下するかも知れない。
     睡眠不足がもたらす弊害を思い付くままに挙げてみる。
  • 注意力低下がもたらす事故
  • 仕事の効率低下
  • 仕事でのミスの増加
  • 勉強の効率低下
  • 脳の発育阻害
  • 体の発育阻害
  • 疲労の蓄積
  • 免疫力の低下
  • 病気に罹りやすくなる
  • 不機嫌
     漫然とT.V.を観たり、ネットサーフィンなどしていないで夜は早く寝よう! ぐっすり眠った後の爽快感をもっと味わおう!